ぼくは有山圭二。ThinkPadユーザーだった。
初恋のコンピューターは「ThinkPad 230Cs」。中学時代のぼくのそばにはずっと230Csがあった。
230Cs以降もノートPCはずっとThinkPad。といっても、新型が出るたびに手に入れるようなことはできない。当時のPCは非常に高価で一台買ったら数年使うのが普通の時代だ。 アルバイトをして購入した「i 1124」は個人ユーザー向けの廉価なモデルだった。大学を卒業して自分の会社を作ってしばらくは中古の「X31」を使っていた。
2007年11月、Androidが発表された。翌年のGoogle I/Oの後、日本Androidの会が設立された。各地で開かれる勉強会に、ぼくは 「X61」と一緒に参加していた。 “All applications are created equal.“を掲げるAndroidのアプリを開発するのにMacを使う選択肢を、当時のぼくは持ち合わせていなかった。
そんなぼくがThinkPadユーザーでなくなるきっかけは、ThinkPadのLenovoへの移籍でもIBMロゴの完全廃止でもなく、ThinkPadの構成からタッチパッドが外せなくなったことだった。
ThinkPadにはすでに「トラックポイント」という入力インターフェースがある。機能の重複するものがなぜ必要なのか。
ぼくがこう言うと「タッチパッドは無効化すればいいよ」という人もいたけれど、自分が使わないもの、無効化するものがついていることをぼくは許容できなかった。
ThinkPadがなくなった隙間を埋めてくれたのがMacBook Airだった。 ThinkPadとは正反対に簡単に傷ついてしまいそうなアルミボディと、取り替えできないバッテリーが新鮮だった。難しいことを考えなくてもそれなりに使えるmacOS、キーボードとトラックパッドというシンプルさが、ぼくが使い続ける理由になった。
ThinkPadに未練がなかったと言えば嘘になる。 街中で、訪問先のオフィスで、参加した勉強会で、あの黒いシルエットがあると知らず知らず目で追っていたし、漫画「王様達のヴァイキング」で、主人公の愛機としてX41が登場したときは素直にうれしかった。
また、MacBook Proとの関係がずっと順調だったわけでもない。 一度はペシャペシャした打ち心地になってしまったバタフライキーボードや、タッチバーの存在に我慢ならなくなってThinkPadに戻ろうとしたこともある。 そのときは、とてもつらい経験をして「ThinkPadは嫌いだ」と言うまでに、ぼくのThinkPadへの印象は悪化した。5年ほど前のことだ。
そんなぼくが、ふたたびThinkPadユーザーになった。
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