大阪天満橋のジュンク堂書店で購入しました。本当は立ち読みですませる気だったんですが、買わないでレビューはフェアではないかなと思い……今は後悔しています。

iq145

僕はプログラミングをしてご飯を食べていますが、関数型プログラミングの領分はまったく未経験です。

関数型の説明が適切かどうかの判断についてはできません。その上で、なぜ評価を低くしたのか、技術書的な側面とラノベ的な側面について分けて記述していきます。

技術書として

まず、最初の「人物紹介」に記載されている、本書を通じての指南役である「サクラ」の説明に”プログラミング・スキルは、『神の目』と呼ばれる全能レベルにまで到達していると噂されるが、サクラのコードを読み解ける部員がいないため、真相は不明である”と記載があります。

他の人が読み解けないようなコードを書いてちゃだめだと思います。

この一文があるだけで、僕はサクラさんのプログラマーとしての姿勢を疑ってしまい、以後、話に集中できなくなりました。

また、話を読み進めていくと筆者の方は、他人に何かをわかりやすく伝えると言うことが苦手なのだと伝わってきます。

初心者に向けて何かを説明したいときには、何を話すかより、何を話さないかの選択が重要であり、初心者向けの本を読んで専門的な立場から「不正確である」「不十分である」と断ずることはあまりしない方がいいと僕は考えています。

しかし、そのあたりの事情を鑑みても、この本で解説している内容が適切とは、僕には思えませんでした。

通常、人に何かを伝えるときは、最低限のコンセンサスを得た上に議論や理論を積み上げていくものです。しかし本作品では、用語の定義から説明が不十分であったり、同意に苦しむものが出てきます。

例を挙げるなら『計算は論理の物質化である』『必要なときに必要な分だけ計算する方法』のような言葉です。

後者については作中でも「長いのではないか」とセキヤが指摘し、それにサクラが「全く不毛な言葉の意味の議論になることもありえるし」と応えるシーンがあります。

結局きちんとした用語の設定はなされずに説明は続くのですが、自分以外の誰かに何かを伝えたいのであれば、意味の議論は避けられないことはありますし、それを「不毛」と言ってしまうのは、それこそ「思考の放棄」でしかないと思いました。

最後に、作中では「訳知り顔の連中」が新しい考え方を抑え込もうとするというフレーズが繰り返し出てきます。

そのあたりの事情は検索すれば沢山ヒットしますが、書籍から読む人にはまったく関係ないことでしょう。出版物を通して自説を唱えるのに紙幅を割くようなものなのだろうかと疑問に思いました。

話の中ではセキヤとサクラが、ソクラテスやガリレオ・ガリレイを引き合いに出し、権威主義的な盲信を諫める。というような展開もありますが、それを書いている筆者自身が、商業出版物として自説を発信しているわけですから、それはもう皮肉としか言いようがありません。


ラノベとして

舞台は都内の進学校のコンピューター部。物語は7月の後半、期末テストが終わったあたりからストーリーは始まります。

登場するのは新入部員のセキヤ君。そしてコンピューター部が誇るIQ145の美少女部長のサクラさん。そう。表紙を飾っているあの不機嫌そうな女の子です。

ちなみにサクラさん。いち早く頭角を現し、高校3年生の部員を差し置いて部長になったそうなんですが、僕の常識では部長は通常2年生がなるものであって、進学校なのに3年生で部長なんてやってたら、おまえ受験どうするのという感じなのですが、皆さんの学校ではどうでしたか?

また、本作では、

女子生徒にとっての女子高生の制服というのは、世間が自分たちの「若さという商品価値」を認めてくるステイタス・シンボルだという自覚もある。

という記述をはじめ、作者の一風変わった「ものの見方」が随所に滲み出ていて、それを知るだけでIQが80ポイントは上がりそうな感じです。

さて、内容に戻りましょう。

サクラさんは美少女で部長あることに加えて「絶対的に仕事ができる」という設定なので、他の2年生も3年生もすべての仕事をサクラさんに丸投げです。

優秀な人にすべての仕事を集中させたあげく、その人が燃え尽きてプロジェクトが炎上するどこかのSIerを眺めているようで個人的にはハラハラします。

もちろん、上級生にもやることはあります。それは、新入生に絶対的美少女部長サクラさん好みのお茶の入れ方や作法を一から教えたりすることだそうです。おまえらちゃんと部活やれ。

さらに驚いたことに、本作では他の部員は登場しません。電子計算室には40台のコンピューターしかない都合上、今年の新入部員は15名に制限し、女子10名、男子5名が入部したという説明が長々とあるにもかかわらず、本作中にはまったく登場しません。

他の部員が誰一人登場しないのは、サブキャラルートの制作が間に合わなかったエロゲームを見ているようで、実にほほ笑ましい気分になりますが、部長であるサクラさんの立場になってみましょう。

おまえら、もっとやる気出せよと思いませんか? 僕だったら思います。

新入部員選抜の激務をこなしたあとに、コンピューター部の共同課題として提案したベイジアンネットワークでビッグデータでなんとかってプロジェクトは、「難しすぎる」と、部員から大反対されてお取りつぶしになったそうです。

おまえら普段はこっちに仕事をおしつけといて、そんなときばっかり文句いうのかと思ったでしょう。

あげく、定期テストが終わったらあんまり部室に来なくなるわけですから。そりゃ、サクラさん怒りますよ。表紙で不機嫌顔になりますよ。

ともあれ、セキヤ君は、全編を通じてサクラさんと二人っきりのイージーゲームです。

たまにお助けキャラのように登場するサクラ母を相手にボーナスポイントを稼いだり、初老のタクシードライバーと(検閲削除)とか、人懐っこそうな笑顔のスポーツクラブのインストラクターとプールを見学しながら(検閲削除)のような展開もありますが、それらすべてはサクラさんのためであって、多少の犠牲はやむを得ません。

また、接触の回数に応じて、サクラさんと会える場所も部室からスポーツジム。スターバックス、母親がいる自宅、そしてついに母親不在の自宅へと変化します。

自宅では、サクラさんは実はツインテール眼鏡っ娘であることが判明、ソファの上で生足であぐらを組むなど、高校一年生のセキヤ君としては、かなりのドキドキ展開が続きます。

しかし、安心してはいられません。

親密さが増すにつれ、サクラさんの言動が少しずつおかしくなってきます。

アラン・ケイやスティーブ・ジョブズを引き合いに出すくらいはまだ良かったのですが、プラトンのイデアとか汎神論、精神世界と物質世界、大日如来の真言(マントラ)、果てはスピノザの神とか言い始めたときには、ほんとマジ超ヤバいと思いました。

ここまで来ると完璧に宗教の勧誘です。(検閲削除)や(検閲削除)などのように、実際には母親が指導しているのかもしれません。このままではセキヤ君が(検閲削除)になってしまいそうで、読んでいて気が気ではありません。

しかしこのセキヤ君。サクラに対してはとことん従順であり、異常なほど馬鹿丁寧な口調でひたすら財布の紐を緩め続ける下僕として描かれています。また、七月後半だといっているのに、ゴディバのチョコを鞄に入れて持ってきたりと、頭の方もそれほど良くはありません。

そして、ことある毎にサクラさんに叱られて喜んだり、なじられて恍惚の表情を浮かべたりと、こんなのが主人公で一体どの層の読者が共感するのか、蒼山 サグ氏も思わず真っ青になること受け合いの取り回しが難しいキャラクター設定なのですが、どうやら、本物の馬鹿というわけではなかったようです。

サクラさんの言動に「ヤバい」と感じたのでしょう。このあたりからセキヤ君の口数が最小限になります。

サクラさんの異常なほど説明的なセリフが改行を含めて数行続いたあと、セキヤ君がサクラさんの説明した用語をオウム返しに聞き直したり「ああ、そうですね」「宜しくお願いします!」と、相づちを打つという展開が増えてきて、精神的に高ぶったサクラさんをなるべく刺激しないように、細心の注意を払っている様子が伝わってきます。

特に「訳知り顔の連中が抑えつけてくる」など言うシーンでは「許せないな!」と、とりあえず共感してみせた上で話題をガリレオやデカルトに逸らすなど、実に大人な対応だと感心しました。

いつゴルフクラブを持ったサクラ母が乗り込んでくるかとハラハラするなかで、「4日目」の難局をセキヤ君が乗り切ったときには、感動で涙が止まりませんでした。


最後に、サブタイトルは「特訓5日間」になっていますが、5日目の後半はサクラさんが「プログラミング飽きた。海に行ってパフェ食わせろ」と言い出してしまうので、実質、特訓は4日間半と言うことになります。Google I/O 2013の3日目のような展開に度肝を抜かれました。

しかし、夏休み直前の午後休だったとはいえ、なんでこのタイミングでサクラさんがセキヤ君を海に誘ったのか。僕には不思議でなりません。

果たして、セキヤ君は無事に家に帰れたのでしょうか。変なワゴンに詰め込まれて(検閲削除)に運ばれたのではないでしょうか。

本文中でサクラさんの最後のセリフは「はやくPCの電源を落としなさい」でした。

しかしその時セキヤ君が使っているのは12インチのMacBookです。わざわざ、PCの電源を落とす必要はないと思います。

彼女は、本当はセキヤくんに何を伝えたかったのでしょうか。もしかしたら、彼のことを深く愛していたけど、脅されて意に沿わぬことを言わされていたのかもしれません。

この一言でサクラさんは気づいて欲しかったのではないか。 筆者の構成力の高さに、ただただ感服するばかりです。

なお、本文中には画像が掲載されているのですが、ライトノベル的なイラストは表紙だけです。本文中イラストはありません。

Wikipediaでパブリックドメイン指定されている「車輪の再発明」や、話の本筋には全く関係のない「夏の大三角形」の画像を大きく載せるくらいなら、眼鏡をかけたサクラさん(ヤンデレてない時点の)挿絵の一つも入れて欲しかったと思います。

以上、悔しかったのでブログのネタとしてなるべくライトに感想を書きましたが、本編は読んでいて本当に苦痛だったので、僕は、みなさんにはお勧めしません。

現場からは以上です。